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07 | 2019/08 | 09

【競馬】伝説が紡ぐ伝説 

マックイーンの弔い合戦──

あちらこちらでそんな声が聞こえた。

先日急逝した稀代の名ステイヤー、メジロマックイーン。彼と同じ調教師、同じ調教助手、そして戴く騎手も同じディープインパクトに、衆目が期待するのも無理は無い。


だが、彼自身は──当たり前の話だが──どこ吹く風の然で淡々とレースを目指していた。若くして栄華を極め、レースの何たるかを解す彼にとって、もはや調教は足馴らしの場でしかない。一週前追い切りでは「予定通り」の一番時計を叩き出したものの、最終追い切りでは先行する牝馬を眼前に残したままでフィニッシュ。まるで「今日をこれぐらいで終えるのが最善だ」と言わんばかりに力をセーブし、自らの手(脚)で最高の身体を創り上げた。


にわかにざわめきを増す競馬人達を尻目に、彼は悠々と引き上げてくる。調教では動かなくなっていることを力説する者、状態イマイチを煽る者、喧々囂々の議論の始まりだ。

「君達の目にはどう映ったかな?」

最後の最後で、生粋の穴党に重箱の隅をつつくチャンスを与えてくれるとは…このナチュラルなエンターテイナーぶりはどうだろう。レース内容で、話題づくりで、彼は全ての存在を超越している。


迎えた日曜日──

京都の庭は傾きかけた陽光が降り注ぎ、青からオレンジへと移りかけの空がターフを淡く照らしていた。

決戦へ臨む17頭が輪になって闊歩し、その中で最強という名の存在が小さな身体を揺らしている。馬体中は自己最低を記録したものの、瑞々しい弾力が全身を覆い、淀み無く流れる四肢は誰よりも軽やかで力強い。

自然と溜め息がこぼれた。神々しいまでのオーラに、他の駿馬達は一瞬のうちに人と人とで埋め尽くされた景色へと溶け込み、ただ彼だけが視線の先と中を支配する。まさしく一挙手一投足を、私は捕らえて離さなかった。あと数十分後に訪れるであろう飛翔の瞬間を思い描き、そのイメージが何度も頭へ去来する。どこにも敗北の文字は存在しなかい。明確な勝利だけが──きっと誰の目にも──見えていた。


管楽器がやや鈍い重低音を奏で始めると、地なりのような歓声が方々から上がり、拍手の波が辺りの空気を震わせた。馬にとって良くないことを百も承知しながら、何故か誰もが止めようとしない「慣習」をいつもの様に苦々しく見やり、再びレースへと心を向ける。

幸いにも心をかき乱された馬はいないようだ。さすがは歴戦の古馬達。すんなりとゲートに誘導され、次々と入るべき番号へ収まっていく。

最後の1頭が軽く振るわれた鞭に応えて位置へ着いた。

スターターが手に持つ開閉ボタンへ指をかける。瞬間、時は止まり刹那の静寂がターフとスタンドを包み込む。そして、「出ろー」という場違いなまでに間の抜けた発生と無機質な機械音が放たれると、再び大歓声が蘇った。


彼が飛び上がるかのように切ったスタートは、天高く駆けるための「予行練習」を思わせた。沸き立つ声が聞こえる。しかし、彼の出遅れなど日常茶飯事じゃないか。

「やらかした」素振りも示さず、悠々とステップを刻みながら1頭を交わし、後方2番手につけた。以前のようにただひたすら先頭を目指してつっかけることもなく、気持ちよさそうな素振りで深く濃い緑の空間に鮮やかな黄緑色の断片を飛び散らせて進む。

手綱はゆったりと名手の手元で揺れている。

レースは予想通り縦長の展開になった。逃げ馬達が先を急ぎ、緩みの無いピッチが計測されている。

しかし向こう正面に差し掛かった頃だろうか、にわかにペースが落ち着き始めた。ジリジリと流れが停滞し、馬群は明らかに収縮に向かっている。

その時だった。鞍上が手綱を僅かにしごき、彼を前方へと誘う。意志を瞬時に汲んだ彼は、リズムに共鳴して一気に前へと脚を伸ばしていく。

ふわっとしたアクションからは想像のつかない速度でグングン加速すると、「ゆっくり上りゆっくり下る」のが最良とされる京都コースの定石を完全に無視し、4コーナーより遥かに手間で早くも先頭を窺う勢いだ。

「早すぎる」

隣で誰かが呟いた。

「ミスターシービーか?」

オールドファンが喜色満面に叫ぶ。

だが、私には全く別の光景が見えていた。

同じ勝負服を纏い、同じように4コーナー手前で先頭に立ち、そこから驚愕のパフォーマンスを見せた白き舶来船を──。

フラッシュバックする記憶をなぞるように、あとは一方的に突き放した。必死で追いすがるリンカーンが視界から遠ざかっていく。そして、誰よりも速く、彼は3分13秒と少しのフライトを終えた──


彼。ディープインパクトは、もはや過去や未来のどの馬とも比する対象ではなくなった。ディープインパクトはディープインパクトという孤高の存在であることを、我々に証明して見せたのだ。

この後、世界の舞台で我々は彼の翼がもがれるシーンを見ることになるかもしれない。それぐらい、世界は広い。

しかし、どんな失地に墜ちようとも、彼の価値が汚されることなどないだろう。

初めて空を駆けた馬なのだから。
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