05 | 2017/06 | 07

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ペルーに魔術師あり 

キリンカップで日本と対戦するペルーに、“魔術師”がいる。セルヒオ・マルカリアン監督だ。御年66。好々爺然とした柔和な笑顔が印象的だが、騙されてはいけない。南米とギリシャのクラブに数々のタイトルをもたらしてきた、稀代の戦術家なのだから。

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ウルグアイ国籍のセルヒオ・マルカリアン(APRAHAM SERGIO MARKARIAN ABRAHAMIAN)には、プロ経験がない。もちろん、南米の古豪に生まれた男子。主にセンターバックを務め、“上”を目指していた。しかし、17歳で断念。その後は大学で学び、大手企業(燃料配給会社)に就職する。ビジネスの才には恵まれていたのだろう。30歳を迎える頃にはゼネラルマネージャーにまで登り詰め、いわゆる“高給取り”となっていた。

そんな彼に運命の時がやってくる。1974年に開催されたW杯だった。母国がオランダに敗れたのを観た彼は、多くの同僚や友人の反対を押し切り、指導者への転身を決意する。

当然、実績など全くない彼を待っていたのは極貧生活。「ベンツを売って生活費にした」という。それでも諦めず、アマチュアクラブのコーチや監督を務めながら約10年の下積みに耐えると、ついに83年、パラグアイのプロクラブ「オリンピア」の監督に就任する。“魔術師”の覚醒だった。

いきなりオリンピアをリーグ優勝へと導き、85年にも2度目の戴冠を果たす。その後も各クラブで成功し、92年にはパラグアイのU-23を指揮。ブラジルやアルゼンチンを向こうに回して南米予選で優勝し、バルセロナ五輪の出場権を手にする。

93年から97年まではペルーのクラブを率い、2つのクラブで2度のリーグ制覇を達成。スポルティング・クリスタルではリベルタドーレス杯準優勝という快挙も成し遂げた。

98年にはギリシャへと渡り、イオニコスにUEFA杯出場をもたらす。99年から2001年まではパラグアイ代表の監督を務め、日韓W杯への出場権を獲得した。

だが、順風満帆の監督人生に落とし穴が待っていた。ベネズエラとコロンビアに大敗して解任。本番では指揮を執れなかった(チェーザレ・マルディーニが監督だった)。

失意の中、再びギリシャに戻ったマルカリアンは、パナシナイコスで欧州CLの準々決勝に進む“魔術”を披露。翌年はUEFA杯で準々決勝まで勝ち上がり、優勝を狙ったが、後の鬼才ジョゼ・モウリーニョのポルトに屈した。

05年にはパラグアイへ戻り、リベルタで06、07年とリーグを連覇。メキシコ(07年)、チリ(09年)でも采配を振るい、09年にはチリでリーグ優勝を経験している。

そして10年7月、ペルー代表監督に就任。82年大会以来のW杯出場を目指す。いつしか付いたあだ名は「El Mago」(魔術師)。就任後、ペルーは4勝2分1敗と好調だが、真価はコパ・アメリカで問われる。南米大陸の国およびチームの監督で2番目となる76万ドルの年俸に見合った魔術を見せられるか、国民は注視している。
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