09 | 2017/10 | 11

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全てを貫く悪魔の弾丸 

彼の足裏に、爪先に、甲に、踵に触れられた球体は、時に雷光のように鋭く、時に世界中の美を固めた女性のごとく麗雅に、その姿を変えてピッチに躍る。世界中の名だたる「番人」達が、彼の前では呆けた顔のまま命を貫かれていく。

決して綺麗なフォームではない。腰が高く、2本の足だけが独立して動いているかのように見える。しかし、その両足が発する稼働速度は驚天動地の次元だ。繰り出されるシザースには残像が宿り、大地を一蹴りすれば障害物は瞬時に後方へ取り残された。

そして何より、奇想天外な発想が創る彼の魔法のトリックは、不可能をも瓦解させる──。

幻惑的なリズムが刻む沈み込むようなステップと、向き合うモノの未来を予測する先見力。偉大なる同郷の先人は、これで世界の頂点を掴んだ。その姿を至高の日本刀と喩えれば、正当後継者たる彼は究極の弾丸──。

神に授けられし武器こそ違えど、彼にもまた、頂きの薫りが漂う。

挑発に易々と乗り、国のためなら所属クラブの同僚と言えども陥れる。PKを貰うダイブもお手のものだ。

まだまだ青く、軽さが垣間見える。

にもかかわらず、もはや彼は「アンタッチャブル&アンストッパブル」。今日も不敵な笑みを浮かべ、敵陣をズタズタに切り裂いていく。

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それぞれの海外挑戦 

中村俊輔、高原直泰、稲本潤一、松井大輔、中田浩二、森本貴幸、小笠原満男、大黒将志、梅崎司、伊藤翔…海外で活躍する日本人フットボーラーをイメージした時、出てくるのは彼らの名前であろう。

しかし、その一挙手一投足に注目があつまる彼らの陰で、幾多の同胞が〝外〟にピッチを求め、自らの足だけを頼りに戦っていることを忘れてはならない。

彼らもまた、日本人フットボーラーに〝世界〟というDNAを刻むべく生き抜く勇敢なる開拓者なのだから――。


<欧州>

・福田健二(29) ヌマンシア(スペイン2部)所属 FW

~2004年、ベガルタ仙台からパラグアイのグアラニに移籍し、パチューカ、イラプアト(ともにメキシコ)を経てスペインへ。グアラニ時代にはコパ・リベルタド―レスに出場している~

・中島ファラン一生(22) ベイレ(デンマーク)所属 FW 

~両親は日本人とイギリス人のカナダ代表。アルビレックス新潟から04年のアルビレックス新潟・シンガポールを経て(1年目に12得点、2年目に14得点でリーグの新人王に輝く)、06年にシンガポールリーグでの活躍を見初めたデンマーク人監督にスカウトされ、同国2部リーグのベイレに移籍。1年目にチーム最多の8得点を挙げ1部昇格に貢献。~

・本間和生(26) ロンバルド(ハンガリー)所属 FW

~リエゾン草津(ザスパ草津の前身)から02年、セルビア・モンテネグロ(当時)のマツバに移籍。その後04年にハンガリーのセゲドで1年間プレーし、翌年にロンバルド移籍~

・ステファン・イシザキ(24) エルフスボリ(スウェーデン)所属 MF

~両親は日本人とスウェーデン人。スウェーデン代表。1999年ストックホルムIFでデビュー後、北欧のクラブを経由して06年に現在のクラブへ。04年にはジェノアでプレーした~

・和久井秀俊(23) ファクター(スロベニア)所属 MF

~元アルビレックス新潟選手。04年にアルビレックス新潟・シンガポールに移籍し、そこで2年間プレー。06年からファクターでプレーしている。背番号は10~


<南米>

・澤昌克(23) ボロネーシ(ペルー)所属 MF

~02年からリーベル・プレートの4軍でプレー。05年にペルーのクリスタルに移籍し、翌年ボロネーシへ。06年9月にはコパ・スダメリカーナで日本人初得点を挙げた~

・笠井健太(21) パウリスタ(ブラジル2部)所属 DF

~06年にサンパウロ州選手権のパウリスタに移籍。当初ユースでプレーしていたが、同年トップチームに昇格。ブラジル移籍後はFWから右SBへコンバート~

・三須彰(22) ボルベニール(アルゼンチン2部)所属 DF

~04年からアルゼンチンのエストゥディアンテスBでプレー。翌年トップチームに昇格するも、2部のディフェンさに放出される。06年に同リーグのボルベニールに移籍~


<アジア>

・末岡龍二(28) バレスティアカルサ(シンガポール)所属 FW

~アルビレックス新潟から04年にアルビレックス新潟・シンガポールへ。翌年に一時帰国するも、06年にシンガポールのゲイランに移籍。07年からバレスティアカルサでプレーする~

・伊藤壇(31) DPMN(マレーシア)所属 MF

~元ベガルタ仙台選手。01年にシンガポールのウッドランズに移籍すると、そこからアジアのクラブを転々とし、07年にブルネイのDPMN(リーグはマレーシア)に移籍した~

・深沢仁博(29) バンコク(タイ)所属 MF

~04年にアルビレックス新潟で戦力外通告を受けると、翌年カナダのモントリオール(リーグはアメリカMLS)に移籍。07年1月からはタイでプレー~

・新井健二(29) アームド・フォース(シンガポール)所属 DF

~元アルビレックス新潟選手。04年のアルビレックス新潟シンガポール移籍を経て、06年同国リーグのアームド・フォースへ~


<アフリカ>

・直川公俊(22) キャノン・ヤウンデ(カメルーン)所属 MF

~04年にポーランドのザブジェに移籍。ポーランドで初めてプレーした日本人となった。翌年ルーマニアのドランゴビスタに移籍し、07年1月からカメルーンでプレー。以前に私の日記でも触れた~


<オセアニア>

・友松雄輝(20) ヤングハート(ニュージーランド)所属 MF

~04年からニュージーランドのマリストに加入。そこで2年間プレーした後、06年にヤングハート移籍を果たした~


※全て「フットボリスタ」から引用・編集。


【予告】

次回は、澤と笠井の両選手について詳細を記したいと思っている。

Good-bye,「A young nobleman」 

その青年は、梳けば星がこぼれそうな金髪を汗に濡らし、西欧彫刻の傑作を思わせる端正なマスクに瑞々しい闘志を張り付けて、ピッチを駆け巡っていた。

ハーフライン辺りでボールを受ける。ゴールまでの距離は60メートルほど。視野の端でGKが無防備な姿を晒していた。

瞬間、今も変わらぬゆったりとした独特のフォームから、輝き始めたばかりの右足で白球をすくう。

鷹が飛び立つ瞬間──。彼のフォームは、ゆったりと翼を広げ、力強く大地を蹴って獲物を狩りに往く猛禽類のそれと似ている。緩慢ではなく雄大。慎重とは違う余裕。備わる気品。

空を舞ったボールは一直線に「狩るべき」ゴールへ向かい、慌てて背走する番人を悠々とやり過ごし、仕事を終えた。

彼のGolden Timeは、ここが原点だ。

以後、「赤い悪魔」と呼ばれる英国屈指の名門の右サイドは彼の領域になった。正確無比なクロスは得点を艶やかに演出し、硬軟変化自在のFKで自らもハンターと化す。背中には「象徴の証」が踊り、世界中のファンは「王子」と愛でた。

もちろん、挫折もあった。世界中が注視する檜舞台で、まさかの愚行。帰国した彼には、長く長くブーイングの雨が降り注いだ。

しかし、彼は何も言い返さず、ただひたすら、身体と心を戦場へ没頭させた。

その姿が、彼を真の統率者へ磨き上げる。

数々の栄冠を手繰り寄せ、英国の先導者として因縁に決着もつけた。

「ポップスター」としての表情を忘れさせてくれる、プレイヤーとしての絶頂期。

終わりが訪れたのは突然だった。

見出し、育ててくれた恩師との決別。そしてそれは、そのままトッププレイヤーからの「決別」も示唆していた。

世界一の人気者が世界一の人気クラブへ。

華々しいのは字面だけだ。持ち味の生かせない不慣れなポジションを与えられ、苦闘し、非難される。スタメン出場の回数は片手で収まった。

所詮、「白い巨人」での彼は「打ち出の小槌」以上の何者でもない。テレビで、スクリーンで、異国でのみ輝きを放つ「宝石」。

驚くほど謙虚で、勤勉で、人格者で、フットボールを愛している彼の真実は、そこに無い。

苦悩──。

いつからだろう、彼の表情からは笑顔が奪われ、代わりにカゲが深く刻まれた。

もはや離別を決断せざるを得なかった。

5年300億円で米国LAギャラクシーへ移籍。

彼は今、大金を得ると同時に、プライドと至高の舞台を捨てる。

懊悩の果てに見出した結論は、彼をフットボーラーたらしめていた最後の一葉を飛散させてしまった。

メディアへの露出が増える一方で、右足は着実に錆びていく。

プレーの数々は記憶と共に倉庫へと運ばれる。

31歳での離別――。

祖国の空は暗さを増し、喪章の様に黒い雲を吐き出した。

黄金の紅、誇り高きダイヤモンド 

勝たなければならない者、負けなければいい者、その「覚悟」の差は言葉以上にピッチでは明確に表れる。

立ち上がりから動き出しの速さと激しいプレスで主導権を握ったのは、ガンバ大阪だった。

2列目、3列目、さらにはサイドがボールホルダーを追い越して、分厚い攻めが構築されていく。いつもの落ち着きがない浦和は浮き足立ち、じりじりとラインを下げて後手に回る。

特に右サイドの加地と播戸はコンディションが良く、対峙するネネを手玉にとった。

そうした中で、播戸の単独突破からマグノ・アウベスへと繋がり、ガンバ大阪に先制点がもたらされる。

加速する意志。もう、2点──。

しかし、幾分勝ちみにはやりすぎたかもしれない。

押し上げて前傾姿勢になればなるほど、浅いディフェンスラインは最凶無敵のハンターの脅威にさらされる。スピードに欠けるシジクレイ、高さの足りない宮本、ガンバ大阪の頼りない「塹壕」がリスクマネージメントをどこまで遂行できるのか。諸刃の剣に思えた。

ホームスタジアムをぎっしりと浸したサポーターの大音声を受け、浦和レッズは侵略の綻びをじっくりと窺う。尖兵を務めたのは、10番を背負うブラジリアンだ。圧巻のボールコントロールでシジクレイを撫で斬りにし、エリア内へ突き進むと、GKの動きをよく見てシュート。松代の右手の僅かに先を破ったボールは、絶叫と共にゴールへ吸い込まれた。

再び3点を追いかけることになったガンバ大阪だが、落胆の色はない。攻防の地図も塗り変わることなく進む。

チャンスは再びガンバ大阪、CKから宮本が放ったヘディングは枠内を捉えたが、山岸が冷静に対処した。

前半の残り時間は刻一刻と減っていく。このまま1-1で終わるかに見えた。

しかし、その一瞬の空隙に紅が電光石火、飛び込んだ。

エリア右でボールを受けたポンテが、マーカー2人を体軸の移動だけでやすやすと振り切ってグラウンダーのクロスを折り返すと、反応の遅れたシジクレイの前へ出たワシントンが豪快に右足を振り抜く。GK松代の手を弾き飛ばす強烈な一撃はゴールネットの上へ突き刺さってから、ラインを越えた。

ガンバ大阪にとっては、絶対に許してはいけなかった痛恨の被弾。逆に浦和は優勝へ向けて大きく視界が広がる千金弾。明から暗、暗から明へ、試合が反転した。ハーフタイムを示す笛が鳴り響いた直後、何事か悔しそうに呟いてロッカーへ向かうガンバ大阪・西野監督の顔は、土気色に落ち込んでいた。

大勢決す──。漂う空気が明快に主張する。

後半14分には、右サイドからのアーリークロスをオーバーラップした闘莉王が巧みに落とし、再びワシントン。マークすべきシジクレイは直前に負傷でピッチを離れていた。受け渡しの不備を見逃すような男ではない。丁寧に振った頭に導かれた白球は、ガンバ大阪を奈落の底へ突き落とす3点目となった。

青と黒の縦縞から、精気が抜け失せていく。それでも前だけを向く彼は美しく、前年の覇者たるに相応しい意地を見せて1点を返した。この誇りがあれば、来年も、また彼らは頂上で交わることだろう。伝説の始まりは、また新しい伝説の始まり。追う立場は追われる立場になり、様を変えて繰り返される。

夕闇迫る金色の薄光が、勝者と敗者を色分けしようとしていた。

その輝く光を全身に浴びて、深紅の戦士達と共有者達が頂(いただき)へと昇りつめた──。






おめでとう、浦和レッズ。

We are Reds!!

いつまでも、どこまでもこだまする歓喜が、心地よかった。

挫折が生んだポリバレント 

初めて彼のプレーを観たのは、確かアテネ五輪の予選だったと記憶している。

古くから「海外厨」として厚顔無恥なるJ蔑視に傾注していた私も、愛国心だけは旺盛だったため、代表マッチの放送だけは欠かさず観ていた。

キャプテンの証たる腕章を巻き、彼は愚直に自陣へ迫る「外敵」の排除に努めていたが、テクニック的に見所があるわけでもなく、むしろ「谷間の世代」の中にあっても凡庸さが一層目についた。

実際、彼は五輪のピッチに立つ権利を得ることすら叶わなかった。

しかし、その悔しさが彼を一段上へと引き上げたのも、また確かな真実だろう。

年々前輪駆動性に拍車がかかる所属チームのスタイルも、彼の成長を後押しした。


広大なスペースを豊富な運動量と鋭敏な危機察知能力で埋め、最終防衛ラインに立てば身体を投げ出すことも厭わない。

根っからの「汚れ役」は、超攻撃的なチームにあって欠かせないピースとなった。

そして、チームとのシンクロ率が高まるにつれ、「攻」の才覚も引き出されていく。

中央からサイドまで積極的なフリーランニングで顔を出し、機を見て前線のフォローに飛び込み、絶妙なタイミングで数的優位を創り上げる。気の利いたプレーは、時に堅牢であり、時に進軍拠点となる。


卓越したポリバレント性──。

日本サッカーシーンにおいて流行語となりつつある「マルチな才能・柔軟な対応力」を示す言葉は、今、彼の代名詞だ。

偉大なる戦術家は、彼のようなプレイヤーを讃え、求める。

いつしか、彼はフル代表でも確固たる居場所を築いていた。

フィードの質、足元のテクニック、ミドルレンジからのシュート…向上させるべき課題も多々あるが、「のびしろ」はまだ充分残っているはずだ。

ライバルの多さを緊張感とモチベーションに換え、更なる飛躍を果たして欲しい。

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