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04 | 2021/05 | 06

祈りはキミを天へ運ぶか 

別れは、無防備な時にこそ訪れる。

気にはしていた。連絡を絶やしたこともない。

それでも、見送りは叶わなかった。社会を構成するというのは、残酷な現実と向き合うことでもある。

最期には記憶の全てを失い、自らの灯火も明滅を繰り返しながら必死に「今」へとどまろうとしていたが、やがて速度を早め、潰えたという。

刻が終わる。

あっけないくらいに平凡で、だからこそ実感が一向に湧いてこない。

何故だろう。

多くのモノを僕はキミと分かち合い、ぶつかり合い、そのたびに僕らの記録は増えていった。

その道程が滲み、溶け出し、死というゼロに覆われる。

戻らない、時間。

刻まれない、明日生きた証──。

意味を解するには時間がかかりそうだ。



冷たくなったキミの頬を、そっと指でなぞる。

確かに在るのに、もう、いないんだよね──。

魂が抜けて形だけになったカラダは、屍と呼ぶには惜しいほど「生の次元」を保っている。

だから余計に、僕の中は反応を拒絶しているのかもしれない。

携帯電話のキーを滑る指が、どれだけ死との邂逅を描いても、現実(リアル)が遠い。

憤りや悔恨の感情に身を委ねることができずにいて、ただこうして叩くままに文字を吐き出す画面を見据えては、悲しそうな素振りだけを演じている。傍観者の自分の存在を視認しながら。

壊れてしまったのは、キミだけでなく僕もだったのか。

いや、キミは本当の意味で壊れる前に壊れられた。

壊れているのに壊れられない僕は、もうどこへも進めない。

正直、羨ましい。

「羨ましいから──悲しめないのさ」

声は自分の奥からした。

「かもしれない」

「死」という絶対的自由は、時に強烈な劣情を誘う。

魅入られたモノ達の多さが、それを克明に示している。

体感することのできない、空想の麻薬。

僕も、望んでいるのだろうか。

否──。慌ててかぶりを振る。

まやかしの出口へ手をかけるほど、堕ちてはいない。

「『壊れている』という自意識は、直る意志と同義だから──かな」

問いかけの言葉を反芻し、小さく頷いた。

自身へ投影することでしか悲しみの在処を捜せない僕に、やがて救済者が現れるなんておこがましい。

けれど、キミとの過去が在るからこそ、未来のキミと出逢う価値に寄りかかれる。

止まるのは、それからでも良いさ。


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少し真面目な日記を、夜の闇に捧げる。

【蹴球】船出は順風満帆とはいかないが 

オシム新監督の下で出航した新生日本代表は、トリニダード・トバゴに2-0で勝ち、白星発進となった。「古い井戸の水」三都主が2ゴールを挙げる大活躍。初キャップ組もまずまずの動きを見せた。後半の失速やコンビネーション不足こそ今後の課題として残ったものの、スピードとダイナミズムを前面に出したフットボールは、これまで感じることのなかった「日本らしさ」を多少意識させるものがあった。


---------- キリトリ -----------

オシム監督、途中で退席しちゃいましたねぇ。正直な話、私も後半は結構早送りしてしまいましたw

「90分戦えない選手が見つかって残念だった」みたいなコメントを残しているようですが、こうして徐々にふるい落とされていくのでしょう。ただ、個人的な解釈としては、このコメントは決してスタミナの量を問うものではないんじゃないかと。闘志やモチベーションを90分保てるか。師はそれを重く見ているのではないでしょうか。

本当は色々とゆっくり細やかに書きたいところですがあまり時間もないので、以下に簡単な感想を。

★10点満点で付けるとしたら何点?

6点でしょうか。確かに、縦やFWをサイドに流れさせるための速いパスが頻繁に見られたり、柔軟なポジションチェンジからのコンビネーションを活かした打開があったり、絶えず足を止めずにリズムを刻めていたのは「新スタイル」の香りを感じさせました。しかし、「ペナルティエリアにどうやって入るのか」という最も重要な命題に明確な答えが見出せなかった点、後半のトーンダウン、連携など「想定内」の課題も多々あります。今後に期待を込めるという意味でも、6点くらいかなと。


★各選手について

コンビネーションが3日間で創られたものにしては、小気味良いダイレクトプレーが数回見られましたし、フォワードのパスを呼び込む動きに合わせたパスの供給も出来ていました。

守備ラインは、時折相手を待ち構えすぎて危険なシーンがありましたが、トゥーリオの絶妙なタイミングでの飛び込みによってギリギリで阻止。空中戦についても――相手にそこまで大柄な選手がいなかったとはいえ――誰かさんがいる時のような不安感はありませんでした。

そういえば、ジェフと同じようにフォワードがサイドに流れてハーフやサイドバックとのワンツーで突破したり、普段の攻撃からサイド突破に主軸を置いたりと、ジェフを見るようなサイドアタック重視の姿勢も見受けられました。

スピードがあり、勤勉に上下運動が出来る日本には適している戦術で、実は上背のないFWを起用している際にも有効です(グラウンダーのクロスやエリア付近でのワンツー、ダイレクトプレーが相手の混乱を招くから)。

守備から解放された三都主は存在感を発揮し、再三再四右サイドを突破してクロスを上げ続けた田中隼磨も目立っていましたね。

フォワードについては、我那覇をはじめ皆ちょっと窮屈そうだったのが印象的。誰もが2列目の動きを呼ぶ上下左右のフットワークは非常に良かったですが、フィニッシャーとしての精度と緩急が、やや物足りませんでした。ただ、苦しい態勢からでもゴールが見えたら狙おうという意識は感じられましたし、これはありがたい兆候と言えます。ミッドフィルダーも「隙あらば」という素振りを示していましたね。

たった1試合で全てが分かるとも思いませんし、オシムが選びたかった選手の多くは不在でした。16日の試合は海外組を除いてフルメンバーになるそうですから(恐らく)、そちらを楽しみに待ちたいと思います。

愛情表現はやがて外から内へ 

丸の内線内にて、目の前で繰り広げられていた情景が、なんとも言えず感慨深い。

3歳くらいと思われる女児が、ベビーカーに乗った1歳くらいの男児に近付いては、顔を擦りよせたり、キスしたり(するのかな?)していたのだが、徐々に男児が露骨に嫌がり始め、顔を背けるようになってきた。

恐らく男児の方は「暑苦しいから」程度の「無意識的挙動」なのだろうが、自我を既に持ち合わせる年齢へ達している女児は「好きなのに、好きなのに(どうして?)」と、喚き出す。お互いの母親は苦笑していたが、「あんな大っぴらな愛情表現をとれる時期があったなぁ」と、懐かしく想い馳せるものがあった。

ヒトは年輪を加える度に、想いを内に込めるようになり、「恋愛」という一大行事へと仕立てあげるようになっていく。

それはそれで──人間関係を円滑にする意味でも(好きであることを幼児の様に常に行為として出していたら、滅茶苦茶になってしまう)──波瀾万丈、権謀術数で面白いのだけれど、言いたいことも言えなくなり、井戸の水を柄杓で掬う様にゆっくりと心の距離を縮めなければならない「大人社会の恋愛模様」が、時折煩雑に思えたりもする。

秘めたままで終わる物語、周囲との関係性を意識する過程から捨てざるを得ない感情、近くて遠い距離、伝わらないピエロの真意、排斥される偽りの好色者…オトナ達の悲喜こもごもを思うと、羨ましくもなる。

あれから3カ月~3月20日から6月20日までの空白の日々~ 



蹴球関連でも、競馬関連でもない、ココロの奥底の話です。
だから、普段のブログを楽しんで頂いている方は、スルーして頂ければ幸いです。
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現実と虚構の狭間で 

ヴァーチャルな恋愛とリアルでの恋愛

ネット環境の普及によって、絶対領域であり嘲笑の対象ですらあったその境界線が曖昧になってきているようだ。

数回のクリックで電脳世界へ飛び込めば、画面越しに何でも話せて自分を見せられる。秘められた心すら、誰かに晒して発信し、救いを求めることまで許される。本当の顔を互いに隠したままで…。

打ち込まれた言葉達は様々に姿を偽り、甘言を弄し、独りを恐れるばかりの儚き兎達に牙を立てにかかる。それでも、虚構の持つ残酷さや無機質さを心の片隅で感じながら、小さき兎達は自らの弱さや「独りであること」を認められず、心の空隙を埋めてくれる存在がどこかに居ることを望み求めてしまう。

直接向き合って傷つくのは、痛みに耐えられそうにない。けれど、見ず知らずの相手なら、例えそこだけの存在にしかならなくても元々在りはしなかったのだとデリート出来るから大丈夫。

捻じ曲がってしまったヒトの繋がり。

あやふやになったヒトの関係性。

凶器としての、ココロを攫うツールとしてのチカラを得てしまった言葉。

偽善によって築かれて往く虚構の現世(うつつせ)。

出会いが、単にスピリチュアルなところへ昇華したわけではない。

むしろ聳え立つ壁を前後左右に張り巡らせ、小さき穴から生じる光だけに自らを投影させて、見せ見られているだけだ。

極論だろうか。

「固定概念に囚われ、常識や作法という支配律によって自由を捥(も)がれたキミは時代遅れの存在だ」

そう、こき下ろされるのかもしれない。

それでも、私はなお叫ぶ。

いつか現実と虚構が交差しようとも。

全て一緒くたになろうとも。


ヒトが汚されて逝く――。